ブラック企業を辞めた私の「幸せの思考法」【体験談】

幸せってなんだろう?

そんなこと、考えたことありませんか?

私は、壁にぶつかった時、心が弱っている時、悩んでいる時、

よくそんなことを考えます。

逆に言えば、そういうことを考えている時は、心が整っていない状態だと私は考えます。

 

今回は、私自身のブラック企業での体験談も交えて、幸せに近づくための思考法というテーマでお送りします。

本記事の内容は以下の通りです。

 

 

何を求めて生きていますか?

さて、タイトルに戻りますが、

1つ考えてみて下さい。

私たちは今生きていますが、

 

なんの為に、何を得るために心臓は動いているのでしょうか?

 

 

 

少し考えてみて下さい。

 

 

 

 

私は、「幸せになるため」だと考えています。

 

なかには、「世の中を変えるため」とか

「誰かを救うため」とか「世界平和のため」とか、目的を持っている方もいるかもしれません。

それを、自分の意志として思えているのであれば、それも1つの人生のあり方でしょう。

 

ですが、今回は幸福になる、を目的とした場合について考えていきます。

 

 

「幸せ」とはどんな状態?

では、「幸せになる」とは、どんな状態を指しますか?

それを具体的に言葉に出来ますか?

 

 

 

 

言葉に出来る方は素晴らしい!

人生の指針が定まっているといっても過言ではないでしょう。

 

ただ、世の中にはそれが分からない人のほうが大多数であると考えます。

例えば、仕事。

仕事=辛いもの

そう考えている人は、案外多いです。

 

確かにお金を稼ぐことは楽ではありません。

ただ、「お金を稼ぐ目的」から仕事を見ていきましょう。

 

ここでも質問です。

あなたはどうしてお金を稼ぎますか?

 

 

 

 

少し考えてみて下さい。

 

 

 

 

いろいろ答えがあると思います。

生活するため、欲しいものを買うため、将来の安定のため、家族のため・・・

 

それらに共通するものは何でしょう?

「幸せ」だと私は考えます。

 

極端なことを言ってしまえば、

お金が潤沢にある状態≒幸せな状態

そう考えている人は多いです。

 

それを間違っているとは言いません。

ある程度の幸せは、お金があることで得ることが出来るからです。

 

そういう見方をすると、

働くこと=お金を稼ぐこと

お金を稼ぐこと≒幸せになること

つまり

働くこと≒幸せになること

こういう図式が出来上がります。

 

 

働くことは幸せに繋がるのか?

しかし、ここで矛盾が生まれます。

「働いているのにも関わらず、幸せに近づいている気がしない…」

こう感じている人が多いのです。

 

過去に私も、体調を崩すまで働いていた頃、

幸せになるために働いている

という考えを聞いて、ビックリしました。

 

なぜかというと、働くということが「幸せ」という言葉に結び付けられなかったのです。

あまりに両方の言葉の意味が離れていると感じていたので。

 

働くことで心身をすり減らしていた私は、

「何のために働くのか?」

そんなことを考えている余裕はありませんでした。

 

ただ、働かないと生活できないから。

それが当たり前だから。

社会に認められるには働くしかないから。

それがちゃんとした大人だから。

 

そんな、誰かの言葉を借りたような考えばかりを盲信し、

自分自身で真剣に考えていませんでした。

 

それは、思考停止状態と、なんら変わりません。

ある意味洗脳です。

 

社会の「正しい大人」という虚像を信じ込み、自分の考えを排除していたのです。

それが正しい行いだと信じて。

 

その結果、どうなったかというと、

私は身体を壊しました。

朝から晩まで働き、サービス残業を繰り返し、酒を飲んで愚痴を吐き出す。

そんな生活は、確実に私の身体を蝕みました。

 

久々に友人に合ったとき、こんなことを言われました。

「なんか、老けた?」

グサッときました。

その時は実感がなかったのですが、当時の自分はそれはくたびれた顔をしていたそうです。

 

 

 

なりたい自分になるために

当時の会社を辞めた今は分かります。

当時の自分は、

「正しい大人像」を盲信し、ひたすら働くことで誤魔化し、自分にとっての幸せなんて考えず、

ただ、楽をしていただけだった。

 

自分で考え、行動するのは大変なことです。

責任は全て自分にあり、どこに行くのか、何をするのか、

膨大な選択肢のなかから、自らの人生の舵を切るのは、とても怖く、困難を伴います。

 

それに対して、

「みんながそうしているから」

「両親に勧められたから」

そんな誰かの考えを、まるで自分の考えのように振舞うのは楽です

 

責任はその誰かのせいで、

社会や両親、会社のせいにして愚痴をこぼし、自分は悲劇のヒロインでいることができる。

とっても楽ですよね。

 

ただ、そこに「幸せ」はないけれど。

 

人間は強くありません。

自分は正しいと思える要素がどこかに欲しいと願ってしまいます。

 

自分で選択し、決定することは、時に社会や、周りの人から反対されることもあるでしょう。

それで失敗すれば、それ見たことかと嘲笑や侮蔑の対象となることもあるかもしれません。

 

でも、それでいいんです。

大事なことは、自分で選んで、行動し、結果が出たということです。

その結果は、自分の望んだものではなかったとしても、

誰の考えでもない、自分で考えて出した答えが、何よりも自分を成長させます。

 

「マズローの5段階欲求」をご存知でしょうか。

下から、生理的欲求

安全欲求

社会的欲求

承認欲求

自己実現欲求となります。

 

自己実現とは、簡単に言えば、「なりたい自分になる」ということです。

なりたい自分になるために、必要なものが2つあります。

1つ目が、なりたい自分を明確にすること。

2つ目が、なりたい自分に向かって考え、行動すること。

この2つです。

 

どちらも、誰かに言われたことや、社会が押し付ける偶像だけを信じていても、手に入りません。

自分で考え、自分の正しさに向かって行動するしかないのです。

 

 

思考の分別化

そのために、まずは思考を分けることをオススメします。

「自分の考え」「誰かの考え」この2つです。

 

何かを選択したり、決定する際、この2つに思考を分別できると、自分はどうしたいのかが明確になります。

分別のヒントは、

「~すべき」です。

 

語尾に、

「この場合はこうするべきだ」とか

「こっちを選ぶべきなんだろうな」とか。

 

この「~すべき」は、誰か与えられた「それが正しいといわれる考え方」であり、

自分自身の考えの妨げになります

もちろん、その「~すべき」が自分の考えの上でも正しい、と判断したら問題ありませんが、

自分の思考を挟まず「~すべき」のみで意思決定をするのは危険です。

自分の思考と誰かの思考を分けて、考えていきましょう。

 

 

最後に

私たちは、子供の頃から親や先生の言うことを聞いてきました。

そうすれば間違いはなかったから。

そうすれば褒められたから。

 

だけど、自分の幸せは、それでは見つからないんです。

そんなこと誰も教えてくれません。

ブラック企業でボロボロになって、そうしてやっと分かりました。

 

自分の人生は、誰も保障してくれないんだって。

どんなに有名な人でも、

高名な先生でも、

ここまで育ててくれた両親でさえ、

私の人生の幸福は分からない。

 

私が分からなければ、誰にも分からないんだということに。

だから、あなたの幸せは、あなたが決めてください。

 

他の誰でもない、あなたが一番、あなたの専門家なのです。

 

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